
運動場を走ってくださいました。
走れば、「ハアーハアー」と自然と息が前にでるだろうと、年配の女の先生でしたが一生懸命に走ってくださいました。しかし、長女は、「ハアーハアー」するほど走ろうとしないのです。パの発音ができるようになるまで八ヵ月かかりました。
一事が万事、のみこみのおそい子供でしたので、先生にはどれだけ心を使わせたかわかりません。また、先生は家庭がおありなのに、夜も毎晩のように電話で指導し、子供たちのために身も心も使ってくださったのです。何と感謝してよいかわかりません。
パの発音が出るようになった喜びで、私は必死で言葉を教えはじめました。いやがる子供にむりやり教えました。覚えるまで、寝かさなかった日もありました。そのころの私は、一つでも多くの言葉を教え、話せるようになることが親の愛情であり、子供の幸福と信じきっていました。その結果、少しずつ話ができるようになってきた長女ですが、めったに笑わない、消極的で暗い子供に育っていました。
家庭の中でも一言葉を教えることで夢中だった私は、主人のことも、他の家族のことも忘れて崩壊状態になっていました。学校から帰り、長男の顔を見て、私はもう一人子供がいたのだと反省することができたのです。いくら長女が話せるようになっても、家庭が壊れてしまっては何もならない。私がこうしたことを引き起こしてしまった。心から申し訳ない自分であると思いました。
そして、主人の妻として、母の子として、二人の子の親としてもう一度、やりなおそうと思
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